しゅわしゅわ

おいしーね、

いつかあの日を

一緒に暮らしている猫がお腹を見せてくれる時、晩御飯を食べる家族の背中を寝ぼけながら見る時、推しを見ている時、膝に子どもが乗っている時、エトセトラetc…

毎日の中で「いつかこの日を愛しかったと思うんだろうな」の言葉がよく頭に浮かぶ。

何かで見た言葉なのか、ふと浮かんでそのまま使っているのか、思い出せない。いつからなのかも思い出せない。記憶力が残念なのは幼少期からだけど。

数年前の辛かったことがあった時期でさえ、推しが関係している方面に対しては「たのしかったな」「いとしい日々だったな」とつらつら思い出を辿れる部分が増えてきた。

つまりそういうことだ、今のこのぼんやりとしたモヤモヤもいつかは「愛しかった」記憶になるのである。行けない現場があるとすぐこうなるのだ、あーあ、まったくヲタクというやつは。

ビールを飲む。ため息をついてみるけど、やっぱりまだ慣れない。慣れたいけど、慣れたくもなく、難しい。時間に頼るしかない。

張り切って買ったハイヒールが痛くて仕方なかったこと、近くで見る推しがもっとキラキラしていたこと。

遠くの席から見た推しと一瞬目があった気がしたこと、友達と惑星の飴玉をゲーセンで取ったこと。

推しが目を閉じた瞬間に風が吹いたあの日の夕暮れ、焼肉の気分を味わった後の新幹線での爆睡。

握手会でうっかりミスってしまったこと、初めましての笑顔、掌のぬくもり。

初めての観劇での立見席、後ろからあなたが駆けて行った時の風。

 

ぜんぶぜんぶ、ぜーんぶ、多分、きっと

 

 

 

 

 

いつか「愛しかった」と、

思い出になっていくのだ。

いまも「愛しかった」と、こんなに、おもうので。